今回、仕事の取り合いやカレンダーの並びから、思わぬ長期休暇を確保できた。しかし、ちきん2号がどうしても1〜2日が休めず、結果
久しぶりのソロツーリングとなった。
さて、それではどこへ行こうかということになるのだが、今年は夏に北海道に行く予定がある。それならば久しぶりに九州へ行こうとなったのだが、それだけではつまらないので、結果
、四国、九州、山陰とまわることにした。
長期の天気予報によると、29日の夕方から天気が崩れ、1日からは回復し、後はおおむね良い天気とのこと。ただ、前線の近い四国の方が早く崩れそうだったので、四国から回り込むのを急遽変更、山陰回りとした。
29日の当日、朝の三時に実家をでる。はっきりいってまだ夜だ。しかし交通
量も少なく、快適に京都まで走ることが出来、 東の空がやっと白み初めて、山の端が分かるくらいになってきた頃には京都市の9号線に入っていた。
ところで今回のツーリング、実は予算にかなりの制約があり、あまり高速道路は使えない状況だった。しかし、無理に下道を走って無駄
な時間を使うのもしゃくだし、なにより疲労困ぱいして妙なトラブルを拾うほうが馬鹿馬鹿しい。そこで、亀岡から福知山まで自動車道に乗ることにした。というのも、去年親方と城崎にいった時、やたら信号にとめられた記憶があったからで、さっさとパスしたかったのだ。
福知山より再び9号線にもどり、7時半には湯村温泉につく。ここの外湯は朝7時から入れるので、ほとんど一番風呂だ。
ここの温泉街は、適度に温泉場らしい雰囲気を残しつつ、町並みを現代的なものに改修している。それなりに享楽的な期待感(?)も残っており、私の一番好きな
タイプの温泉街だ。まあ道のアクセスも良いし、近場に京阪神の都市をひかえている。そしてなにより「夢千代日記」の舞台になったのだから、城崎なんかにくらべると取っ付きやすいのだろう。
湯村温泉から鳥取市内を経由して、三朝温泉にむかう。ところで、この近くに投入堂という鎌倉期の寺院建築
がある。二十歳頃、初めてテントを持って出たツーリングの時によったのだが、前日の雨で,堂に至る登山道が滑ってしまい、志半ばにして拝むことができなかったという思い出がある。後日、下からでも見れるということを聞いて、いよいよ悔しさがつのっていたのだが、今回やっとそのものを拝むことが出来た。
三朝温泉につくと、さっそく河原の露天風呂を探し当てて入湯。まだ9時すぎだったので、ほとんど街にも人通
りがなく、何の躊躇もなかったが、これが昼以降だとさすがにちょっと…といった感じだ。しかし、一応脱衣場のようなものもあるので、下呂よりはましか。
三朝温泉を後にして、奥津温泉にむかう。ここも三朝と同じような河原の湯なのだが、ここは温泉場としてはあまり賑々しさはない。しかしその分地元密着型で、その湯を使った共同の洗濯場があったりする。
私が入っている時も洗濯物を抱えたおばさんがきて、洗濯用の建物に入って行ったりした。で、その後自分も裸になってその露天風呂に入ってくるのだ。着物も洗って自分も洗って、確かに効率が良い。
…ちなみに、そのおばさんはむしろお婆さんに近い年令で、かつ、非常に恰幅の良い体型であったことを明記しておく。
さて、実はこの奥津温泉に入った頃から、ぽつぽつと雨が降り出してきた。話が違うじゃないかとぼやきつつ、次の湯原温泉に向かう。
で、あらかじめ私自身地図で確認してあったし、地元の方からも教えてもらったのだが、この奥津と湯原を最短で結ぶ
山越えの県道がある。地元の人がわざわざ教えてくれるぐらいだから間違いないのだろうとそこに入って行くと、いきなり通
行止めの看板が。それでもなお先にすすんで、峠を通り過ぎ、さらに進んだところで老夫婦の乗るランクルと遭遇。私と同じ目的でここにきたのだが、この先完全に道がないとのこと。どうやら、この間の鳥取県西部大地震のせいらしい。もうこの頃には雨も本降りになっていて、泣く泣く来た道を戻った。
結局国道を使って大回りして、湯原に着いた頃にはもう(というかまだ)12時になっていたので、ダム下の河原の露天風呂は結構な人だったが、近くに車が来れないため、野次馬がおらず、意外にゆっくり入ることが出来た。ちょっと俗っぽすぎる嫌いもあるが、あのダムを下から見上げながら入るロケーションというのは、ちょっと面
白い。大自然の豊かさを眺めるのも良いが、人類の果敢な努力を眺めながら入る湯というのは希少だろう。
湯原温泉に浸かっていた時には一時小やみだった雨が、再び本降りとなってきた一時過ぎ頃、蒜山高原
の梺を走っていた。実際の所、今日は予定よりずいぶんと早いペースでこれたので、このまま出雲湯村温泉か、日本海側へ出ててしまおうかとも考えたのだが、これ又予定よりもずいぶん早く降り出した雨で、一気にやる気が失せてしまった。そこで、そうそうにキャンプ場を見つけ、二時過ぎには、テントの中からメッシュ越しに外の様子を眺めて、晩飯に相応しい時間がくるのを待つ、という一見無駄
なようだが、充実した時間を過ごした。そう、私は実は、何もせずにゴロゴロしているのが、一番好きだったりするのだ。
夜になって、ラジオの天気予報を聞く。すると何やら明日も天気が悪いようなことをいっている。降り出しが早かった分、回復も早いかと思ったのだが、どうもそうではないらしい。それでも西に向かうのだから、走って行くうちに回復するかと思い、今度は177で山口、大分の予報を聞く。するとなんと、大分はなんと5月1日まで天気が悪いといっており、所によっては雷雨などといっている。
何かこの時点で、ちょっと帰りたくなってきてしまった。なんでこんなに雨に降られるのだろう、何か悪いことしたか?と自問しているうちに、いつの間にやら眠っていた。
翌30日 、やはり雨だが、結局西に向かうことにした。と、しばら走り出すと、なんと雨が止み、路面
が乾いているところに出た。ややもすると、雲の切れ目も見える。やあ、よかったよかったと上機嫌で、出雲湯村温泉へと向かった。
この出雲湯村温泉、場所がややっこしいというだけで、みんなが知っているという秘湯ではなく、ほんとにひっそりとしている。それでも、ここには一応外湯があり、その河原には無料の露天がある。しかし、営業が10時からということと、その無料の露天がなんかゴミがういている上に、その外湯の真下にあり、その排湯を流しているかのように見えたので、入ることなくそこを後にした。
9号線に再び合流し、出雲市街に入る頃から、また雨が降り出し、本降りとなってきた。本来ならこの日本海側の海岸線は信号もなく、適度のアップダウンとコーナーが連続する、ツーリングするにはうってつけの道なのだが、雨の中では何の印象も残らない。まあ、それでも一つは良い事があるもので、春とはいえまだ小寒いこの季節に雨に降られて、いよいよ温泉が身にしみるのが実感できたりするのだ。
ということで、湯泉津(ゆのつ)温泉に入る。ここは典型的な湯治場らしく、温泉も古びた外湯が何件かあるだけで、よくある近代的な「クアハウス」とかなんとかいうのがないのがいい。
いかにもといったおじいさん二人や、中年の旅行中の男性が、けっこう湯治場の風情にマッチして、ゆっくり体をあたためることが出来た。
湯泉津から萩を経由して、そろそろ今日のキャンプ地をきめなくてはならなかった。しかし、地図で見る限りあまり温泉場の近くにキャンプ場はなかった。まあそれでも何か公園か何かあるだろうと、とりあえず長門湯本温泉にむかう。しかし、ここは典型的な観光温泉で、大型バスが列を列ねて走ってくるようなところだ。ここは場違いだなと判断、そのまま通
り過ぎて俵山温泉へと向かった。
距離にすればそんなに離れてはいないのだが、まったく雰囲気が違う温泉で、一発で気に入っててしまった。典型的な温泉街で、車が一台通
るのがやっとといった道の両側に、びっしりと宿が立ち並んでいる。そしてなによりちょっとはなれた、人目の着かないところに、御誂え向きのあずまやのある公園もある。今日はここに、「御宿泊」である。
この温泉には、3つの外湯がある。二つしか見つけられなかったが、いずれも近代的なもので、ちょっと街の雰囲気にはそぐわなかったが、街全体としては合格点。たぶん、これから中国地方にくる時の、基地になるんじゃないかな。
風呂に入って、テントを張る。とりあえず濡れたままたたんだテントや、シート類が乾かせるのがありがたい。
食事が終わり、ラジオの天気予報を聞く。やはり明日もまだ雨のようで、大分方面
は2日も午前中はまだ雨だという。またまたこの時点でやる気が失せてきた。しかし九州まであと60km足らず。まあ明日になってからきめれば良いやと眠りについた。
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